「主の家族として」  03−05−04
            ルカ8:19〜21

 主イエスのところに、母マリヤたちが尋ねてきました。
家族のつながりは、たいへん強く、重要なものです。
ですから、誰かがそれを主イエスに知らせに行ったのです。
人々よりも、ご自分の家族を優先されるのが当然と思ったからです。
主が向きを変えて、家族の方に行ったとしても仕方がないと思った
のです。
 ところが予想に反して主はおっしゃるのです。
「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちの
ことである。」何よりも関係が深いのは、今、神の言葉を聞いている
あなた方だとおっしゃったのです。他の福音書では、もっとはっきりと
書かれています。弟子たちを指して、また周囲の人々を見回して
「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」とおっしゃったと
書かれています。
 この出来事を見て、「母マリヤがかわいそうだ」と、思った事も
ありました。傍観者のような、のんびりした感想でした。
 しかし、私たちのことを何よりも優先されるべき家族のような相手と
見ていてくださることに驚くべきです。私たちは、主から「何よりも
あなたが大事だ」と宣言していただいているのです。
 それでも、自分はそんな風に見てはもらえないのではないかと
心配することがあります。神の言葉を聞いて行うことのなかなか
出来ない、ふがいない自分を知っているからです。
 しかし、心配で心を一杯にするよりも、主の言葉の確かさに心を
向けるべきです。

 復活された主は、その場にいない弟子たちのことを「わたしの兄弟
たち」とおっしゃいます。聞いて行うことの出来なかった弟子たちの
ふがいなさを、主が十字架で取り除いてしまわれたからです。
失敗を取り除き、足りないところを補ってくださるから、兄弟と呼んで
くださるのです。そのような主を知っているゆえに、心配で心を満たす
必要はないのです。
 主の言葉に驚きつつ、感謝しつつ、信じて生きるのです。
主に重んじられる相手としていただいていることを、喜んで、
私たちは生きるのです。